2015年4月15日水曜日

歴史修正主義にしがみつく安倍極右政権

 安倍政権によって、マスコミに対するとんでもない恫喝と翼賛化の攻撃が続いている。直近では自民党が17日にNHKとテレビ朝日の経営幹部を呼び、最近問題となっている報道番組の内容をめぐって、直接、事情を聞くという。権力者である政権与党が特定の番組の内容をめぐって報道機関を呼びつけるなどという事態は、これまで記憶にない。これまでも首相安倍自身によって、番組の編成に公然と不満を述べるというような、悪質で狭量極まりない態度が度し難いほどに見られてきた。また報道機関の首脳がみずから安部と飲食を共にするなど、それに迎合するかのごときマスコミの翼賛化が急速に進んできた。
 国内だけではない。海外のマスコミによる歴史修正主義批判に対する、これも度し難いおよそ建設的とはとてもいえないほとんどでっちあげに近い「非難」や「抗議」などが行われてきた。これについて明らかにする元英国駐日大使ヒュー・コータッツィ(Hugh Cortazzi)による4月14日付ジャパンタイムスの記事を紹介しておきたい。以下はその記事へのリンクです。
以下のリンクは「内田樹の研究室」上記記事の訳文へのリンクです。
「日本の厄介な歴史修正主義者たち」

Vikingが死んだ

 4月7日早朝、Vikingが永眠した。てんかんの重責発作によるものだった。3月下旬からの二度の通院を経て4月6日朝入院、4月7日早朝6時ころ獣医師からの電話で、この世を去ったことを知った。5歳8ヶ月という若さだった。
7日午前3時半ころ、Vikingの吠える声を聞いたような気がして飛び起きたまま、眠ることができずにいてこの報せを聞いた。土、日の週末が重なり入院は4月6日月曜の朝になってしまったことが悔やまれる。度重なる発作の合間に辛そうに呼びかけに応えるVikingを抱きしめるばかりだった。ともに過ごした最後の朝、それまで食が細り続け、すでに丸一日以上水以外何も口にしなかった彼は、最後の力を振り絞るようにして差し出された牛肉を平らげ、好きだった牛乳を飲み干したのだった。生き抜きたいという気持ちに駆られるように。
5年前の6月、私は肺がんで左片肺の全摘手術を受けた。退院は秋口だった。その後抗がん剤治療を経て年越えし、翌年3月相棒としてVikingを迎えた。生後7ヶ月のころだ。それ以来、ほぼ欠かさず朝夕の散歩をともにし、同棲してきた。彼なしの生活はいっときたりともなかった。その彼をこれほど早く失うなど、考えられなかった。失ったいま、目にし生活することのすべてが彼の生きた証と結びついている。
今はただひたすら悲しい。さびしい。
彼の追憶とともに、ずっとサボってきたこのブログを書き続けていこう。

若いころのViking