2011年10月10日月曜日

がん発見の経緯

 2008年の秋だったと思うが、健康診断を受けた。血糖値が少し高いので念のために検査を受けるようにと紹介状がつけられていたものの、大きな問題がないという結果だった。この健診の少し前から咳がひどくなっていて咳き込み出すとなかなかおさまらないという状態が続いていたので、自分自身としては結核とか気胸の可能性があるのではないかと気になっていたのだが、とりあえずは胸部レントゲンの結果には何の問題もないということに安堵していた。今から10年ほど前にも同様の症状があったけれども半年ほど続いた後おさまったという経験があり、今回もそうだろうと軽く考えていた。
 しかし冬に入っても咳はおさまらず、体力が落ち始めた。食欲はあって結構食べていたのだけれども、漠然と変だなと思っていただけだった。長引く咳き込みがひどくなってはいったのだが、健診のレントゲン結果では問題がなかったということを理由に診断を受けずに延ばしていた。2月入るころからときおり左胸に鈍い痛みを覚えるようになった。3月には痛みが常態化しいっそうひどくなり、就寝中にも痛みで頻繁に目を覚ますようになった。それでも当初は体位を変えて痛みを紛らわすことができたが、4月にはそれではまったく睡眠をとれないような状態になってしまった。
 ことここに至っても今度は医者に何を宣告されるかとそれを恐れて躊躇しているのを見かねて、我が伴侶は私を車に押し込み、無理やり近隣の総合病院に連行した。5月の初旬だった。胸に痛みがあると聞いた医師は即座にレントゲン撮影を受けて診断結果が出るまでロビーで待つようにと指示した。このころは立っているのも椅子に座っているのも辛いほど衰弱していた。待ち時間は途方も長く感じられた。
 診断結果は「肺がん」IIIA期。手術待ちの5月から6月初旬のあいだ、毎週この病院に通って詳しい検査と投薬を受けた。が、このころの記憶はほとんど断片化していて、順序立った記憶がない。内視鏡によるがん組織の採取の際に、医師が何度も「どこだどこだ」と内視鏡の方向や深さを変えては探し回りついに「あったあった」という声をあげるまで、ひどく苦しい思いをしたこと。血液検査の際、注射針をうまく刺すことができずに何度も試みた挙句、ついには別の女性看護師に交代してしまったこと。CTスキャンの際に、ひどくなっていた胸部の痛みに耐えて手を伸ばすよう指示されてむやみに腹をたてていたことなど。もともと被害意識の強い私だが、自分がひどく痛い目に遇ったことだけは覚えているのが悲しい。
 まだこのころは手術と入院に備えて仕事の整理などもし車も運転していたのだが、診断の後の通院の際にも彼女は病院の送迎をさせるよう私に要求していた。通院をサボタージュするのではないかと疑っていたのだ。

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